ボケリン・ママリンの観察日記

カテゴリ:過去の出来事( 3 )




今のママリンの今に至こと。

もう半年も前の4月11日。
なんか思わせぶりな私のつぶやきで終わり、そこから更新を怠っていますが、ママは今も元気にやってます。

実はジェフ君が4月22日に亡くなり、それから心身消失というか何もする気がない日が続き、今に至りました。
が、夏にはママリンのドキュメント映画の撮影もあり、バタバタして今に至る。

ご心配かけましたが、ママの徘徊もめっきりと減り、天使のようなカワイイおばあちゃんで過ごす日も多くなってきました。

写真と記録は付けているので、近くバ〜っと更新いたします。
その時はまたご愛読、よろしくお願いいたします。

[PR]



by asayosan | 2014-10-28 14:28 | 過去の出来事

けっして昔に戻りたくない。ド迫力の認知症だったママリン。

今日と明日は、薬の神様のお祭り、道修町の『神農祭』である。
思い起こせば2年前にママリンがうちに来ての、初のギャラリー催しが『戸川純一郎 個展〜夜の猫〜』。
たくさんのお客様が来てのオープニングパーティで、ママが「帰る!」と出かけてしまい、幸い元同僚の企画展で、元同僚がたくさん来ていたので「ここは、大丈夫だから、お母さんを見ておいで」となり、ギャラリーはおまかせして、私はずっとママの後をつけて歩いていた。
ちょうど、『神農祭』がやっていて、にぎやかな屋台には目もくれず、道行く人に「梅田新道はどこですか?」と聞いては、ママの記憶する市電の走ってる道を探すママリン。
ママの後をつけながら、「あなたは、何の信念の元に、歩いているのか?」の疑問で頭がパンクしそうになり、健常者の心を灰色にしていく認知症という病、これは楽観的だけでは、乗り切れるものではないぞと、負けて兜の緒を締めた1日であった。

で、無駄な約2時間の散歩をして、どうにか連れて帰ってきた後は、ママを階下に置いて、誰かがママの相手をしながら見張っていてくれた。
が、ホネちゃんが新聞を読みながらママといてくれたが、しばらくして「なぁ、あんたとこのお母さん、ちょっと変やな。あんたのことを、あの人、誰って聞いてたで」って、今頃気がついたんかで、みんなにブーイングされてたっけ…。

とんだ、スリルとサスペンスになったママリンのギャラリーデビューだったが、当時はまだデーサービスに行ってなくて、24時間ママに付き合いながらの、ギャラリー店番にヘトヘトとなった。
どうにかなる、と思った根が楽観的な私のチャンレンジは、鬼のような顔で、私を振り払い、お客さんの前でも暴言を吐いて出て行くママリンに、打つ手なし。お客さんの前でどなられて、マンガのように、サ〜っと、頭が真っ白になっていく感じを何遍も味わう。
友達に来てもらったり、なだめたり、すかしたり、警察のお世話になったり、あの手この手の手練手管で、毎日が綱渡り、地雷原、サバイバルで、どうにか1週間をやり過ごしたのが奇跡のようだ。

それから2月頭までギャラリーを休廊して、徹底的にママリンをリサーチする作業に入った。
まずは、
「出て行く!」と言えば、言葉を尽くして説得してみたが、火に油をそそぐようなもので、そのエネルギーの消耗たるやヘトヘトになるので、すぐあきらめる。
次は、
「出て行く!」と言えば、「はい、どうぞ」と出かけてもらい、その後ろをつけていく作戦。
これが、スパイ感覚でなかなか面白く、いったいどれぐらい歩くのだろうと、徹底的につけてみた。
ママリンは、大昔に住んでいた春日出に帰りたいようで、梅田新道から市電に乗って帰るコースに執着があり、「梅田新道はどこですか?」と人に聞いては、あっちこっちと行ったり来たりする。
で、だいたいの人は、地下鉄の駅を教えてくれるが、ママリンは、地下に降りていく地下鉄の入り口を通り過ぎてしまうという欠点(私にしたら利点)を発見、大阪市内は地下鉄に乗らなければ、どこにも行けないのだ。これは、しめた!だ。
でもなぁ、毎日5時間ぐらいは平気で歩き続けるママリン、どんなけ足腰丈夫やねん、という良好な健康状態という利点(私にしたら欠点)も確認。

で、道ゆく人は、親切に道を教えてくれるのだが、その中でも、わざわざママを駅や警察まで案内してくれるスペシャルに親切な人がいて、そんな人に出会うと、私が出ていき「大丈夫です、私は娘で後ろをつけてましたから」とお礼を言う。
ママは「あ〜、よかった。こんなとこであんたに会えるなんて奇跡やわ」と喜んで、素直に家に帰ってくれるのだが、それまでには相当歩かなくてはいけないのが難点だ。
よって、このスパイ大作戦は、親切な人に出会ったらドボンで、ゲーム終了というルールにする。

ただこのゲーム、ちょっと早くママの前に登場すると「なんで、あんたがいるの?あんたから逃げてきたのに、ほっておいてちょうだい。あんたなんか、どこか行って!」と、またテンションが振り出しに戻るので、いい加減、歩き疲れて心細くなってきた頃合いを狙い登場するのが、勝利へのコツである。
これは、歩き疲れてもらうのがポイントで力技が必要なのだが、散歩と思えば、乙な趣味である。

思い起こせば2008年11月から2009年3月までの4ヶ月、母と毎日、怒鳴り合いとスパイ大作戦と説得とほんの少しの平和と気分激変と食事中の幸せと泣きわめきと深夜の家出に翻弄され、施設に預けることも真剣に考えたこともある。

が、それから、住民票移したり色々な手続きをして、ケアマネージャーの松岡さんに手配をしてもらい、2009年の3月より、デーサービスに週3日通えることになった。

はじめてデーサービスに行った日は、
自転車で街をかっとばし、自由の謳歌に笑いが止まらなかったっけ。

それから、介護支援3をもらい、2009年9月より、デーサービスが平日の週6日間利用できるようになった。ラッキーなことに、ママはデーサービスが大好きで、ママリンなりの生活のリズムが出来たのか、朝起きる時間、寝る時間、徘徊する頻度や時間など、ある程度のパターンが見えるようになる。ほんとに、ほんとに、デーサービス、ブラボーである。
たぶん私も、ママから解放された自由の時間が、ママリンの自由を尊重する余裕となり、今では、ちょこちょこ出かける夜の徘徊以外は、普通に暮らしてるレベルにまでなった。

認知症は、進むことはあっても治ることはないと言われているが、あの、暗黒の認知症のオーラが蔓延した恐怖の日々を思うと、ぞっとする。たぶん、私が認知症を怖がっていたのだろう。
昔に比べたら今はベストであり、これからもどんどんベストな段階がアップしていくるような気がする。
要は、楽観的が勝ったじゃないの!である。
[PR]



by asayosan | 2010-11-22 12:28 | 過去の出来事

食事スタイルを変えました。

e0200261_14395058.jpg食事は二人だけなので、大皿に盛ったものを、各自小皿に取り分ける食べ方をしていたのだが、ママリンの食べ方ときたら、ひとつの料理だけを全部食べたり、全然手をつけてない皿があったりとマナーが悪い。
で、いちいち取り分けてるのもじゃま臭いので、ワンプレートにしたら、全部きれいに食べるようになった。
どうも、認知症というのは、いろいろな料理を相手の分を配慮しつつバランスよく食べることはできないようなのだ。
e0200261_14505411.jpg
元々ママリンは昭和一ケタの昔の人間なので、料理は人数の分だけ、料理の数だけ鉢や皿をそれぞれに並べる定食屋スタイルだったので、料理を酒のアテに、チビチビと小皿に取り分けて食べる私の居酒屋スタイルは性に合わないのだろう。というか、初体験だったかも。
e0200261_14595592.jpg
こうして、定食屋スタイルにすることで、最後の一口をママリンに盗られて暴れることもなく、あっと言う間に平らげるママリンと、酒を飲みながら1時間はかけて食事をする私とのタイムラグも埋まり、平和な晩ご飯となった。

が、洗いもんがしたくてしょうがないママリンは、「この一口残ったの、早く食べなさい」「いつまで飲んでるの、女の酒癖が悪いのは最低やよ。父さんは、きれいな酒やったよ」と横でうるさく言い、テーブルを何遍も拭きに来るのが、かないません。

写真は、“まごはやさしい”メニュー。こんな献立のおかげで、私も心なしか痩せてきた。
[PR]



by asayosan | 2010-09-25 15:08 | 過去の出来事

認知症のママリンの日々の暮らし
by asayosan
プロフィールを見る
画像一覧

検索

タグ

ファン

ブログジャンル

画像一覧